正法寺~八幡秋の文化財一斉公開③
正法寺
尾張徳川藩祖 義直の実母お亀の方の菩提寺

唐門 御奈良天皇の宸筆山号扁額 徳迎山 牡丹の模様 お亀の方の花 名古屋の相応寺の本堂にもありました

鐘楼

社務所玄関からはいります


手前の庭は初めに作られたもの、奥、門に近い方はは石を仏に見立てて、後から作られたものだそうです

本堂

御奈良天皇の宸筆山号扁額 正法寺 油かけの話もここでもききました


ここではないけど、この金色が地垂木のところにあります 逆輪というそうです
内陣にあがり、阿弥陀様を拝みました

大方丈の説明をききました
襖絵の松絵は狩野派の集団で書いたそうで、松のタッチがそれぞれ違います
上段の間は高貴な人を迎える間
欄間が 特殊 垣みたいな感じだったのだけど、なんと説明されていたか思い出せない

小方丈の後ろの庭園

山を借景にしてあります

廊下をわたって マリア燈篭でしょうか、下の方に写っていますが、暗くて見えない
小方丈 高貴な方の休息所
上段の間はおわれたものが隠れる場所も

書院の茶室は、簡略化というのか、ふすまに書がかいてあったり、説明では千利休、有楽斎のあと、禅宗が入ってきて
茶の形もかわってきたとか。松花堂をみてきたあとなので、茶室の変せんがよくわかります
船をつかっていた緩やかな曲線を描く柱をもつ間を見学しました

本堂隣の東照宮

この石灯篭はかけています もっていかれるようで、次郎長の石みたい

この中に八角堂にいらした阿弥陀如来坐像 拝観し、お会いすることできました
快慶、運慶の作ではないかと 衣のひだでわかるそうです
お亀さんはこの社の娘で、そのころの結婚で2回嫁いだそうです。そのときのあかちゃんをたらいごとはこんでいて、家康公にみそめられたとのこと。家康公は健康であれば子供を産んでくれると、家柄より人の能力をかったお人だそうです。
後日、名古屋市相応寺本堂で「尾張名古屋は母でもつ」という舞台をみてきました
史実を取材して忠実につくってあり、八幡が、この故事が出てきて、とても尾張徳川のため、家康のつながりの薄かった関西人として、人のつながりの役割を果たし、また義直を育てる母をお亀の方の力を感じる舞台でした
尾張徳川藩祖 義直の実母お亀の方の菩提寺

唐門 御奈良天皇の宸筆山号扁額 徳迎山 牡丹の模様 お亀の方の花 名古屋の相応寺の本堂にもありました

鐘楼

社務所玄関からはいります


手前の庭は初めに作られたもの、奥、門に近い方はは石を仏に見立てて、後から作られたものだそうです

本堂

御奈良天皇の宸筆山号扁額 正法寺 油かけの話もここでもききました


ここではないけど、この金色が地垂木のところにあります 逆輪というそうです
内陣にあがり、阿弥陀様を拝みました

大方丈の説明をききました
襖絵の松絵は狩野派の集団で書いたそうで、松のタッチがそれぞれ違います
上段の間は高貴な人を迎える間
欄間が 特殊 垣みたいな感じだったのだけど、なんと説明されていたか思い出せない

小方丈の後ろの庭園

山を借景にしてあります

廊下をわたって マリア燈篭でしょうか、下の方に写っていますが、暗くて見えない
小方丈 高貴な方の休息所
上段の間はおわれたものが隠れる場所も

書院の茶室は、簡略化というのか、ふすまに書がかいてあったり、説明では千利休、有楽斎のあと、禅宗が入ってきて
茶の形もかわってきたとか。松花堂をみてきたあとなので、茶室の変せんがよくわかります
船をつかっていた緩やかな曲線を描く柱をもつ間を見学しました

本堂隣の東照宮

この石灯篭はかけています もっていかれるようで、次郎長の石みたい

この中に八角堂にいらした阿弥陀如来坐像 拝観し、お会いすることできました
快慶、運慶の作ではないかと 衣のひだでわかるそうです
お亀さんはこの社の娘で、そのころの結婚で2回嫁いだそうです。そのときのあかちゃんをたらいごとはこんでいて、家康公にみそめられたとのこと。家康公は健康であれば子供を産んでくれると、家柄より人の能力をかったお人だそうです。
後日、名古屋市相応寺本堂で「尾張名古屋は母でもつ」という舞台をみてきました
史実を取材して忠実につくってあり、八幡が、この故事が出てきて、とても尾張徳川のため、家康のつながりの薄かった関西人として、人のつながりの役割を果たし、また義直を育てる母をお亀の方の力を感じる舞台でした
この記事へのコメント
徳川家の加護を受けた寺院、東照宮も祀られているんですね
本堂の造りも贅を凝らしていますね
八角堂に祀られていた阿弥陀様はここに安置されているのですね
尾張徳川家の発祥の地を感じられた良い巡りでしたね
立派なお寺ですね、八角堂の阿弥陀様にも拝観できてうれしかった。
お亀さんは・・劇を見てきてまた人としてのお亀さんを考えるきっかけになりました。お寺という身分の出身をきにしていたこと、関西の要人との橋渡しで重要な人であったこと、義直を育て、尾張徳川を安泰にするために力を尽くした人など、・・歴史をしりながら、お寺の堂宇、仏像拝観と尾張徳川をまた身近に感じた京都の旅でした